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> ルワンダの大虐殺とは
HINTがコンゴ民主共和国に支援をきっかけとなったのは、1994年4月に起きた、コンゴ民主共和国の隣国ルワンダの大虐殺でした。
ルワンダは、10世紀ごろまでにフツ族と言われる農耕民族が住みつくようになりました。そこへ、15世紀後半に遊牧民が北方からやってきました。彼らはツチ族と呼ばれ、身長が高く、乗馬や武器の扱いに長けており、次第にフツ族を支配するようになりました。
その後、ルワンダは 第一次世界大戦終結までドイツ植民地、以後はベルギー支配となりましたが、ドイツやベルギーもまたツチ族を重用した間接統治を行いました。この事により、ツチ、フツ両部族間の憎悪間はより深まりました。
基本データ
正式名: ルワンダ共和国
Republika y'u Rwanda
公用語
ルワンダ語、英語、フランス語
首都
キガリ
面積
26,338km2 (世界第144位)
人口
7,954,013人(世界第89位)
国民総生産
20億ドル(1人当たり約170ドル)
平均寿命
男性39.4歳、女性41.7歳
アフリカ諸国の独立運動が相次ぐ1960年代、ルワンダも独立し暫くはツチ族による政権が支配を行っていましたが、 ツチ族支配に反抗した勢力が1973年にクーデターを起こし、フツ族が独立を勝ち取りました。戦いに敗れたツチ族の一部は周辺国に難民として流出し、ウガンダの支援を受けたゲリラ組織(ルワンダ愛国戦線)を結成しました。1994年4月6日、ルワンダ、ブルンジ両国大統領の乗った飛行機が追撃され、両国大統領が死亡−。これを受け、ルワンダ政府軍のフツ族過激派は、犯行はツチ族によるものと断定し、ツチ族の処刑命令を発令。フツ族によって、80万人から100万人のツチ族と穏健派フツ族が犠牲になったと言われています。
そんな内乱と虐殺の機をついて、ウガンダにいたゲリラ組織が攻撃してくると、報復を恐れたフツ族は難民として周辺国に脱出します。ゲリラ組織は首都キガリまで進攻し、政権を奪還。1994年、国連安全保障理事会は、ルワンダ新政府(ツチ族主導)の要請を受けて、ルワンダ領域内及び隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際刑事裁判所を設置、現在も審理が続いています。
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