掲載:2006年3月19日

エポペの冒険


進藤 重光


 イエスは大酒飲みの大食いと非難されながら、罪人たちとも一緒に食事をすることを大切にした。このことは新約聖書にはっきりと描かれており、その片鱗は深い絆で結ばれた弟子たちとのやり取りのそこかしこに歴然と現れている。しかも、パンとぶどう酒による最後の晩餐での永遠の契約の記念は、以後、教会が守るべき礼拝行為としてイエスご自身によって制定され、現代に至るまで感謝の典礼として大切に保たれている。

 新宿歌舞伎町の中心街で飲み屋を続けて二十五年。人びとともにあることを大切にしたイエスの姿を想い起こしつつ、忙しい現代人に友情といやしの空間を提供しながらキリスト教を伝える飲み屋が今も続いている、と言ったら驚かれるだろうか。

 ご承知のとおり、一口に飲み屋と言っても多種多様で、居酒屋やカラオケスナックのようなところからキャバクラ、高級割烹のようなものにいたるまで業務内容・店舗規模ともに千差万別だ。ことに小さな気のおけない飲み屋では、恋愛の相談から、結婚の報告、離婚問題や浮気問題、はたまた、会社内での悩み事や昇進の報告からリストラの苦しみ、老人介護から嫁姑のいざこざまでが毎夜持ち込まれているはずである。

 近年、コンピュータやバーチャルなゲームを相手にすることでしか楽しめず、人間関係をつくることが難しい人びとが増え、ひどい場合には引きこもって精神年齢が止まってしまう若者たちもいるという。しかし、どんなに技術が発展しようとも、肝胆相照らすことのできる人間とは違い、機械を相手に飲んで根本的に楽しいはずはない。確かに、ロボットならぬ人間相手に飲むのが苦手というひとが思いの外いるかもしれない。しかし、そういうひとたちであっても、人と人との結びつきが持っている本来の楽しさや、愛される喜び、赦される安心感を味わえる場があったならと思うのである。宗教(ラテン語のレリギオー)の語源は「結びつく」(レリガーレ)にあるといわれているが、そこにこそ、飲み屋の真髄があると言えば言い過ぎだろうか。

 わたしたちの店「エポペ」の意味は、フランス語の一般的な辞書による翻訳では、叙事詩、あるいは、(叙事詩にふさわしい)壮大な事件の連続とある。これを創立者のフランス人宣教師G・ネラン神父は「美しい冒険」とした。その命名への想いは多くの活動を生み、さまざまな成果となって実を結んでいるが、飲食店の形態としては、いわゆるスナック・バーというジャンルに入るのだろう。新鮮な果物を使った本格的なカクテルの提供をはじめとして、ワインや生ビールもひと味違ったものをと心がけている。また、その日のおつまみに合わせ、旨いとされる焼酎や日本酒を用意することもある。しかし、最大のつまみである「おいしい会話」を大切にする友情の場としての理念から、ミニコンサートが開催されることはあっても、カラオケは決して置かない流儀は一貫して変わっていない。

 店構えは十坪ほど。昔風の炬燵を思わせるコの字型のカウンターが中心である。補助椅子を使ってぎりぎりに詰めて座っていただいても十八人ほどで満員になり、「離れ」と称する別にあるテーブル席も五人も座れば一杯だ。その割には内側のバーテンダーが働くスペースが不自然なほどゆったりしている。これは、常勤のスタッフや非常勤の研修生の数名がカウンターの中に立って会話を盛り上げるための場所を確保する意味もあるが、本当は、前のマスターであるネラン神父が巨漢だったことが最大の理由だろう。ここを舞台に、ディズニーランドで観客と一緒に物語を作っていくキャストよろしく、涙あり、笑いありのヒューマン・ドラマが今夜も演じられていくことになる。

 かつては日本人学生スタッフが精力的に活躍してくれたが、現在のスタッフたちには留学生が多い。今までにイスラエル、中国、韓国、スペイン、ベトナムなど、年齢の割に非常にしっかりした男女の青年たちが国際交流を兼ね、店を支えながら活気づけてくれている。卒業後、彼らは文字どおり世界中に散らばって活躍を続けているが、ちなみに、現在の韓流ブームを陰で支えているのはそんなOBたちであり、結婚式に招待されることも多くなってきている。

 さて、バーテンダーの仕事というのはその名が示すとおり、優しくなければ勤まらないというのは真実だろうか。実は、ただ見かけだけ優しそうに見えればよいというものではないところに、重要な秘密が隠されている。心理学用語でいうところのインテーク(受理・受容)の能力やコンパッション(共感・同情)の力が、受け手側の人間(バーテンダー)に備わっていてこそ、人は愚痴や相談事を言うことができるという点が一番肝心なのである。

 こう言ってしまうとごく当たり前のようだが、この人なら自分の話をわかってもらえると思うからこそ話すのであって、目の前に人が立ってさえいれば誰でもいいというわけでは決してないことがおわかりいただけるだろうか。つまり、バーテンダーが美男や美女であることは確かにメリットがあるが、長い目で見れば、誰でも基本的には愛想のない冷たい美男美女よりも、親身に話を聴いて心から共感してくれる方を選ぶに違いないのだ。このことは、場合によっては怒ったり、厳しいことも言ったりする結婚相手や親友との関係にもぴったり当てはまる。これが本当の意味で上手な人ほどいわゆるモテル、ということになるわけだ。

 したがって、具体的な問題を抱えているお客さまに対しては、できるだけ正直に適切なアドバイスや意見を言わなければならない機会も多い。そのため普段から、法律や福祉の最低限の基礎知識を勉強しておくことや、信頼できる専門家のネットワークを持っておくことも必要になってくる。加えて、即座に切り返す理解力や当意即妙のウイットがなければ、話はおもしろくなく単調な会話に終始する。ただし、愛と友情が必要なのであって、説教がましいのは論外である。(これらは初めて教会を訪ねてきた求道者への対応にそのまま当てはめて良いことだろうと思うが、皆様はどうお考えになるだろうか。)

 言うまでもないが、酔っ払いが絡んできても受け流すことのできるタフな精神力と長時間立っていられる体力は必要不可欠だ。また、時と場合によっては、身を挺して店内の治安とお客さまの安全を維持する覚悟も求められる。飲み屋にもルールはあることを誰もが忘れてはならず、ごくたまには、狼藉者をぶっ飛ばさなければならないような遺憾な事態も生じるからだ。ただ、まだ飲み方を知らない若者に対しては、常連たちがしこたまお酒を振舞いながら教育的指導をしてくれるはずだ。

 良いバーだといわれるところにはこれらが自ずと備わっているものだが、エポペのスタッフになる場合はこれらに加えて、キリスト教や聖書を最低限理解していることが必要になってくる。もちろん、飲みながらここで聖書の勉強をさせたりするわけではないのだが、信者ではない方からのキリスト教に関する質問に答えたり、教会を紹介したりすることはよくあるからだ。一緒に教会に行くことも多く、現在ではネラン神父から直接洗礼を受けるばかりではなく、そんなやり取りのなかから自発的に自分一人で教会に通いはじめ、洗礼を受けるひとたちが出てきている。

 近年、この店を事務所にしたボランティア活動も活発になっている。会社を離れてボランティアをすることで、会社以外の生き甲斐や出会いの場になっているということもできるだろう。立ち上げ直後から、ごく自然に常連の方たちが手伝ってくれた結果、NPO団体(特定非営利活動法人:ヒュ−メイン・インターナショナル・ネットワーク/HINT)も設立された。おかげさまでこの仕事もはや十数年が過ぎ、アフリカで奨学金を受けた子どもたちが医師や教師、公務員として活躍するまでになり、ベトナムでは少数民族の子どもたちの学校や井戸、診療所の建設を皮切りに、乳牛の飼育や広大な薬草園建設も進行中だ。

 何もなかった広大な土地の上に豊かな緑が茂り、牛や豚などさまざまな家畜が増え、数多くの優秀な人材が育ってきている。日本では想像すらしにくい厳しい環境の中で、現地の人びとが着実に成果を上げてきていることは賞賛に値することだろう。支援しているはずの側こそが深く学ばされ、日々支えられていると感じることも多い。祈りに基づく継続こそが力であるとともに、揺るぎない信頼が日々の奇跡を生み出すという、カルカッタ(現コルカタ)で何度かお会いしたマザー・テレサの言葉を改めて噛み締めずにはいられない。どんなに遠く離れてはいても、人は誰もがお互いに支えあい、信頼しながら生きていける、このことが実感できただけでもこの活動が生んだ大きな成果に違いない。

 そして今夜も、日本社会の生々しい生活がエポペに持ち込まれ、酒とともに吐き出されていく。当たり前のことだが、現実の重さの前に楽しいことばかりが多いわけではなく、哀しみややるせなさを覚えることも少なくない。しかし、そうやって皆で話をしながら気が晴れて、「少ないけれど」と言いながら寄付をしてくれる人が多いのは、この社会にあっていまだ未来への大きな希望がある証拠なのかもしれない。

 イエス・キリストがパレスチナの片田舎で罪人たちと一緒に食事を始めてから二千年。その祈りは途切れることなく、強い絆とともに全世界に広がり、おのがじし繋がって、今宵歌舞伎町でも、休むことなく続けられている。それが果たして本当にあり得ることなのかどうか、実際に来られてご自身の目と耳と舌でお確かめになるのも一興、一度お試しを。

(株式会社エポペ代表取締役)


オリーヴ

(初出:オリーヴ2005年11月号 三陸書房刊)




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