かつて、山崎 庸一郎著『星の王子さまの秘密』が刊行されたばかりのときに、早速買い求め、ちょっと得意げにネラン神父に見せた途端、「読んではいかん!」と、二回続けて真顔で言われた覚えがある。その含意とは、師の愛して止まないサン・テグジュペリの『星の王子さま』を読む場合には、その作品そのもので十分といったところだろうか。
そんな師のことであるから、もっとも逆鱗に触れる質問の一つは、三島由紀夫のどこに惹かれましたかという質問である。『鹿鳴館』をフランス語に翻訳し、ユネスコを通じて世界に広めたネラン神父へのインタビューの過程で、必ずと言っていいほど、そのような質問が出てくる。
やったな、地雷を踏んだと思う間もなく、「ばあかですよッッ!」と、件の質問者は怒鳴られているはずだ。
三島の作品を読むのであれば、三島の人格は関係がない。文学作品は、あくまでもその作品こそがすべてなのだ、ということなのであるが、これがわからないでしつこく繰り返すと、さらに彼の怒りに拍車をかけることにもなる。
先日も遠藤周作のドキュメンタリーを製作していた某NHKのディレクターがインタビューに来店され、遠藤文学の背景について誘導(らしき質問)を繰り返すと、早速、「あなたはね、文学のいろはが少しもわかっていないッ。これはABCですよッ!」 と唸られていたのを思い出す。もっともこの方の場合は事前に撮影計画が決まっており、既に今回撮影するはずの「絵」についての意図と方向性があったので、マスコミ業界的にはごく当たり前の誘導と言えなくもない。だから、その意味で気の毒でもあるのだが、如何せん相手が悪かった。
さて、前置きが随分長くなったが、そのネラン神父が著者から献本される前に自分で買い求め、既に読んでいたのが、本書「遠藤周作 その人生と『沈黙』の真実」なのである。しかも、遠方にお住まいの著者がネラン師に直接お会いしたいと願っている旨を伝えると、この五百頁に及ぶ大著を、もう一度最初から丹念に読みなおしたと言うではないか。しかも、「おもしろいね。うん、おもしろいですよ」と、師は間違いなくニ回繰り返した。
よっぽど、かつてのサン・テグジュペリの一件を持ちだそうかとも思ったが、やめておいた。使徒ペテロのこともあるし、まあ、少しは私も大人になったのである。
実は、著者の山根先生は、かつて早稲田奉仕園の舎監時代にエポペに何度か来ていただいていたお客様でもある。後に電通マンから大学の研究職に戻った当時のエポペ・スタッフが学生として入寮していたのがきっかけだったか、エポペの株主でもある早稲田奉仕園の細萱先生のご紹介だったかのはずだ。以前は偶然、何故か師に会えなかったという山根さんだったが、いまや大学の助教授(遠藤周作文学会の発起人)として貫禄十分となってご来店されたのはなんとも嬉しいかぎりだった。しかも、あの頃の青年舎監の優しい笑顔は少しも変わってはおらず、ネラン神父との会話が終始なごやかにすすんだことは、申し上げるまでもないだろう。
(FXS)