2005年 ベトナムスタディツアー参加者の感想

ベトナム・スタディーツアーを振り返る 飛行機から見下ろしたベトナム、ホー・チ・ミン・シティ周辺は緑の絨毯。うわー、原生林かァ。すごいなあ、さすが南国だあ。と緑の多さに感動したのである。が、後にこれが全てフランス植民地時代に植えられた広大なゴム園だと知る。権力って(金があるって)凄まじいものなんだ。圧倒的な力の前にただ当時の人たちは従わされたのだろうか。 翌8月5日、かねてより話題の、ラグライ族の村に行く。もっと山奥の、囲まれたら怖いような人々がいるのかと思っていたが、予想は完全に裏切られ、煉瓦造りの家や、さらにコンクリで外壁を塗り上げ、きれいな色に仕上げられたこざっぱりとした家が何軒もある。が、その脇にはトタン屋根や瓦屋根、竹を編んだり木の板を張って外壁(内壁なんてないのだ)にした家などもならんでいる。よく見るとさすがに今では住んでいないようだが、ちょっと前には使っていたと思われる高床式の小屋もあった。もちろん屋根は茅ぶきのような植物性のもので、壁板ではなく藁というか丈夫な草の茎を束ねて雨風を防ぐといった風情だ。その家々に清潔で新鮮な「飲める水」を提供しているのがHINTが支援した井戸だ。水質がよいために他の村からも水をもらいに来る人がいるという。周囲にはパパイアの木やカシューナッツの木がはえている(植えたものなのか確認しなかった)。 水道からほど近い家で、少女が一人留守番をしていた。開け放した勝手口にかまどはなく、土の上に五徳を置き、炭ではなく薪を燃やしてバナナを蒸していた。少女ははにかみながら、家族構成や、自分の年齢、だれのために調理をしているのかを話してくれた。彼女は裸足で、家のなかは全て土間。その土の上にベッドがあり、ベッドの下はニワトリのねぐらだった。6、70 年前の日本の農村の生活を思わせる。部屋を照らす明かりはないのに、しかしテレビはある。アンバランスな印象を受けるが、これが今のベトナムなのだった。

中学校教諭 武井 秀彦